自宅での看取り(2)

顔の麻痺でにっこり出来なくなり、嚥下する力が落ちて咳き込みがちになり、どんどん食事を取りづらくなっていきました。嚥下しやすい食べ物を工夫して食べさせましたが、進行が早すぎて、昨日は食べられたものが今日は食べられない、という具合でした。

家族いっしょのユニバーサルレシピ―かみやすい・飲み込みやすい介護食

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体が自力で起こせなくなって介護ベッドを手配しました。息子に「病院みたいに背中を起こせるベッド置こうと思うけど、どうかなあ」と聞いたら、「柵がなければいいよ」と言われたので、柵は借りませんでした。寝室ではベッド2台(ぴったりつけてクイーンサイズ扱い)+布団で寝ていたのを、布団をベッドに変えただけで、ベッド3台ぴったりくっつけるようにしました。最期まで家族三人川の字で寝られてよかったです。
8月下旬、ついに口が開かなくなって薬を口に入れることもできなくなりました。在宅医を呼んだところ、その時点では熱がなかったものの肺炎と診断されました。意識ははっきりしているのに、一時はSpO2が70%を切りました。あと持って一ヶ月、病院へ行くなら救急車で行くしかない、在宅でも出来ることは病院とあまり違いはない、病院ではレントゲンが取れるのと、酸素の設備が上限20リットルまで供給できることくらい、と言われ、病院か在宅か選ぶように言われました。
在宅を選択し、酸素濃縮機を設置しました。上限5リットルの機械を2台設置したのですが、一台を5リットルにして、もう一台を追加しても変化がない…。翌日訪問看護師が来て見てみると、酸素の機械の業者が配管を間違えていて、1台しかつながっていなかったのです。もう一台は配管がループしていた上に、栓がカチッと閉まっていなかったので空中に放出されていてアラームが鳴らなかったという…。びっくりしました。生命に関わる機械の配管でこんないい加減なことが起こるとは。(当然というべきか、後日、別の業者にリプレースとなりました。)
肺炎になってからあとは、毎日、午前中看護師さんが来て清拭か入浴をして点滴をセットしてもらい、あとは自分で点滴の調整をして、終わったらヘパリンロックするのが日課になりました。点滴の調整や終了時間の予測には「どりまね」というiOSアプリの無料版にお世話になりました。
ほぼ毎日、夕方から夜に在宅医に来て頂いて、ときには薬を追加したりしてもらいました。
その後、肺炎はすっかり良くなり、酸素も不要になり、医師も驚いていました。しかし意識レベルはだんだん下がっていき、眠ることが多くなりました。脈拍は下限45、通常55前後。脈拍50を切っていてもちゃんと意識があったり。本を読んであげたり、DVDを見たり、カードゲームをしたりして過ごしました。
最期の二週間前くらいから頭痛が出てフェントステープ(貼るだけで使える医療用麻薬)とアンヒバ座薬を使いました。1週間くらい前になると高熱が出てアンヒバ座薬をつかっても熱が38度より下がることがなくなり、アイスノンをたくさん買い込んでローテーションさせて冷やしました。この頃から、不安を取るために酸素を少し流していました。最期の3日間くらいは急に脈拍が上がって120〜200くらいになり、ほとんど意識がなくなりました。
前日は熱が下がり、ひさしぶりに37度前半になって、このまま大丈夫ならお風呂に入れるかも、とか思っていました。最期の日、日付が変わった頃からSpO2と脈拍がゆるやかに下がっていき、朝まで頑張ったものの、ついにはモニタが信号を拾えなくなってしまいました。それから在宅医を呼び、到着した頃はまだ心拍がわずかにあり、「お母さん、だっこしてあげて」と言われて息子をだっこして最期を迎えました。そのあと主人と一緒にお風呂に入れました。

こんな感じで、自宅での看取りといっても難しいことは特になく、病院の付き添いに比べれば大変なことは特にありませんでした。
ただ、在宅を希望しても、訪問看護ステーションと在宅医が見つからないと難しいので、ウチはラッキーだったと思います。
あおぞら診療所のような、重い障害や難病の子ども専門の在宅クリニックは他にないのではないかと思います。
また、訪問看護ステーションにしても、はじめに気管切開後のケア・経管栄養・導尿をしていた頃探していた時には全く見つからず、退院後に「入浴介助とリハビリだけなら」ということでやっと見つかりました。経鼻チューブで薬を入れようかという話になったことがありますが、訪問看護師では出来ないけど母さんがやるなら近くで見守ります、と言われました…。そのときは口から薬が飲めたので経鼻チューブが不要になり、そのあとは経管栄養をしなかったので問題にならなかったのですが。